定恵院o(^-^)o
『全国お菓子市で静岡の“安倍川餅”があったから買ってきたよ』

御所('▽')ノ
『おお!我が今川家の銘菓、安倍川餅ではないか!!』
定恵院
『安倍川餅って戦国時代にもあったの?』
御所
『まあ、似たようなお菓子ならどこにでもありそうだが…その件で私の盟友であるちいさんからの情報を頂いた』
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徳川家康が天下の権を手中にしたのち、駿府城に在って、幕府三百年の偉業の基礎を築いた時代に、家康は、井川(静岡市)の笹山金山や梅ヶ島(静岡市)の日影沢金山などを御用金山として、海野彌兵衛(うんのやへい)を奉行として盛んに金鑛の採掘を行いました。
ある時、家康がこの金山を検分に出向いた際、ある男が餅をつ搗き、豆の粉をまぶして献上したのを食べたところ、大変美味かったので、献上した男を呼び寄せて、この餅の製法を尋ねました。するとこの男が、「この餅は、金山から産出し安倍川へ流れ下る金の粉をすく掬いあげて、餅にまぶしてつくるので『金粉餅(きんこもち)』と申します」と即座に答えました。家康はこの男の奇智を誉め、褒美を与え、改めて、この餅を『安倍川餅』と命名されたということです。
また、この「金粉餅」は、今川・武田の戦国の頃(約四百二十年前)から、梅ヶ島金山で「今年も金が多く産しますように」と神前に供えられて、豊富な産金を祈ったものだとも伝えられております。
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御所
『ちいさん、ありがとう。つまりだ、この安倍川餅という名前自体は徳川家康が付けたという事だな。もっともそれが事実かは不明だ。お菓子に箔を付ける為の自作自演の可能性もある。
そしてここが重要だが、“金粉餅”と言う餅が徳川以前にあったという事だ。さらに混沌とした武田の駿河支配の期間に成立したというよりは安定した今川時代に作られた可能性の方が高いと思う。』
定恵院
『その可能性はあるね』
御所
『うむ。では、我が今川家の栄華を懐かしむとともに、今後の今川家が益々繫栄し、家臣領民共々の発展と活躍を祈念して、この安倍川餅ならぬ金粉餅を頂くとしよう』

定恵院(◎o◎)
『・・・あれ?』
御所(≧▽≦)
『うむ、美味じゃのう』
定恵院
『ねえ、御所?』
御所
『なんじゃ?抹茶なら点ててやるぞ。ワシのお好みの丸久小山園の“瑞泉の白”と“青嵐”があったな』
定恵院
『そうじゃなくて・・・お菓子の袋が』
御所
『ん?』
よ、四割菱!?